1985年の創業以来、人の集う空間に沢山のガラス作品を演出して参りました。ライフスタイルの変化や急速な時代の流れに伴い、私達も求められる“ものづくりの形”を進化させて参りました。
しかし光を彩るガラスの本質は今も昔も変わりません。
“もっと自由に” “もっと楽しく”
様々な空間に寄り添うガラスメーカーであり続けたいと心から願っています。
株式会社エージー・クルー
2代目 代表取締役
1985年の創業以来、人の集う空間に沢山のガラス作品を演出して参りました。ライフスタイルの変化や急速な時代の流れに伴い、私達も求められる“ものづくりの形”を進化させて参りました。
しかし光を彩るガラスの本質は今も昔も変わりません。
“もっと自由に” “もっと楽しく”
様々な空間に寄り添うガラスメーカーであり続けたいと心から願っています。
ドイツ⼈/ルートヴィッヒ・シャフラット⽒(2011年死去)がデザインしたステンドグラスの壁画が⼤宮駅に完成。先代の創業者、⻄⽅順⼀が⽒の做品に出会ったのはその時でした。
「⽇本の障⼦はまさにステンドグラスだ」
当時、世界を代表するガラス・アーティストとして名を馳せていた⽒の⾔葉が、先代の記憶に強く残ります。
シャフラット⽒のアトリエを訪ねるため、先代はドイツに渡ります。⼤宮の作品を制作した⼯房「オイテマム」にて、ジャン・コクトー⽒が⼿がけた⼈の顔をした⼀輪のバラの作品に出会い、感銘を受けます。
さらに、本物の⼿作りステンドグラスを製作するランベルツ社を訪問。⼼に語りかけるようなガラスの世界に魅せられてゆきました。
株式会社エージー・クルー設⽴。⼩さな作品でも、そこに住まう⼈に移ろう光の美しさだけでなく優しさや潤い、時には歓びや悲しささえも感じるステンドグラスの世界を創りたい。そんな「建築空間を実現しよう」という思いで、個⼈住宅を中⼼に本物のステンドグラスを創り始めました。
シャフラット、そして彼の作品との出会い。
ジャン・コクトーの作品との出会い。
マイスター制度の中で育成された職人たちの
技術力と誇りと伝統。
“オイテマム”の工房との出会い。
美しさだけでなく、見る人の心に語りかけ、
心を揺さぶるようなガラス素材を製造する
“ランベルツ”の工場。
当社は創業当時から、ドイツ・ランベルツ社と友好
関係にあり、
同社のガラスをメインに使い、
製作しています。
これらの3つの目標を柱に、エージー・クルーは、まったくのゼロから事業を始めました。
「建築は人をつくり、人が建築を生む」と言うように、私たちが提案するガラスの空間が、新しい何かを生み、何かを感じさせる住まいづくりの一要素になればいい…。
設計者とインテリアデザイナーの協力によって実現したステンドグラスの一部をご紹介します。
既成概念とされてきたステンドグラスの宗教的・具象的なイメージを払しょくする新しい空間づくりの試みとして、和・和モダンの空間づくりを実現。
ステンドグラスが「新しい障⼦」としての役割を果たしつつ、新しいインテリア世界を広げました。
他には、ステンドグラスに異なる製法のガラスや異素材を組み合わせることによって、これまでにないユニークなガラスアートを創出。
モダンな⽣活空間が出現するとともに、全⾯ステンドグラスよりコスト⾯のメリットをも引き出しました。
こうして、創業から10年を経て、個⼈住宅に新しいガラスアートの⽣活空間が広がっていきました。
個人住宅から始まった新しいガラスの建築空間づくりは、創業5年を過ぎる頃から商業空間や公共の建築空間へと広がっていきました。 それに伴い、新しい技法や製法が必要となり、ガラスの質感もステンドグラスだけでなく、さまざまな製法のガラスを併用する傾向が強まっていきました。
⼿作りステンドグラスから始まったもうすぐ40年。
その過程はいつも明るい光に包まれたものではありませんでした。
しかし、創業の原点である「ガラスによる新しい建築空間の創出」という視点は、
新しいライフスタイルを実現するための試⾏錯誤の繰り返しでもありました。
ものづくりに終点はありません。
これからもクライアント・設計者・デザイナーのお⼒添えにより、
お客様に⽀持されるようスタッフ⼀同、挑戦を続けます。
創業39年、そしてこれからの30年に向けて、新たなる旅⽴ちです。